2013年11月13日

未だ戦争の爪痕が残るボスニア・ヘルツェゴビナへ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)


早朝6時起床。
まだ外は真っ暗です。

この日は朝早く起きて、ドブロブニクから、
いよいよボスニア・ヘルツェゴビナに向かいます。

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ドブロブニクの長距離バスターミナルへは、
再び市内バスで。

P9211936.jpg

長距離バスターミナルにて、
バスチケットを購入。

P9211947.jpg

いきなり首都のサラエボに向かうのではなく、
途中「モスタル」という世界遺産の街に立ち寄ることにしました。

バス料金は100Kn。約1,750円です。

バスが到着。

P9211942.jpg

朝8時出発。バスの終着地はサラエボ。

P9211943.jpg

ドブロブニクからサラエボまでは、
約7時間ほどかかるようです。

私は「モスタル」で途中下車の予定。
ちゃんと降りられるか、ちょっと心配。

なんて思ってましたが、
4時間半程でやや予定より遅れてモスタルに到着。

P9211961.jpg

多くの旅行者が下車したので、
すぐにわかりました。

バスを降りると、
そこは明らかにクロアチアとは違う雰囲気。

海沿いの街から、
山間の街に来たというのもありますが、
バスターミナルの施設が閑散としていたり、
道路の整備状況が悪かったり、
走っている車に旧式のモノが多かったり、
やはり、もともとは同じユーゴスラビア連邦の国でも、
クロアチアほど経済状態が良くはないようです。

↓私が10年程前に乗っていたのと全く同じタイプの車が!
P9211973.jpg

まずは重いバックパックをなんとかしたいと、
バスターミナルを歩き回りました。

サラエボへの中継地点にあり、
世界遺産の街でもあるので、
荷物預かり所くらいあるだろうなー、
なんて探しまわったら、
やっぱりありました。

コインロッカーなどは無いようですが、
たしか0.5ユーロくらいで、
バスチケット売り場で預かってくれるので、
これから行かれる方は是非ご利用ください。
(ホント、ボスニア・ヘルツェゴビナは旅行情報が少ない。。。)


このモスタルという街、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時の
1992年から1993年までの間、ユーゴスラビア人民軍の包囲下
にあったそうです。

ボスニア・ヘルツェゴビナは、もともとオスマントルコ帝国の
支配下にあったこともありムスリムが多いため、
こんな立派なモスクがあるのですが・・・

P9211970.jpg

よく見てみると、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時の、
激しい弾痕が無数に見られました。

P9211971.jpg

普通の街の建物の多くにも弾痕が。

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クロアチアほど経済状態が良くないボスニア・ヘルツェゴビナは、
戦後復興もクロアチアほど早くはないようで、
未だあちらこちらで戦争の爪痕がみられました。



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2013年11月16日

世界遺産の街モスタル(モスタル/ボスニア・ヘルツェゴビナ)


モスタルには、
「モスタル旧市街の古橋地区」という世界遺産があります。

↓モスタル旧市街の街並み
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2005年7月に登録されたばかりのまだ比較的新しい世界遺産で、
ボスニア・ヘルツェゴビナで初の世界遺産です。

「古橋」とは「スタリ・モスト」という、
全長30m、幅4mの石橋のことです。

↓「スタリ・モスト」
P9212036.jpg

もともとは1557年に、
オスマン帝国のスレイマン1世によって建てられた橋ですが、
1993年に破壊されてしまったため、
現存しているものは2004年に再建されたものだそうです。

これは、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中に、
クロアチア系のカトリック民兵に破壊されたためだそうです。

モスタルは、イスラム文化の色濃い街のため、
この橋や周辺地区は、カトリック勢力の攻撃の標的になってしまったようです。

↓世界遺産のエリアにも紛争の爪痕の弾痕が
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この「スタリ・モスト」ですが、
「コスキ・メフメド・パシャ・モスク」というモスクのミナレットからの眺めが、
とても素晴らしかったです。

↓コスキ・メフメド・パシャ・モスク
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↓ミナレットからの「スタリ・モスト」の眺め
P9212008.jpg

再建された橋は、ちゃんと渡ることもできます。

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アーチ状の石橋のため、こう配はかなり急でした。

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橋を渡った先で昼食に。

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オスマン帝国の影響の色濃いボスニア・ヘルツェゴビナ、
食事もトルコ風のものが多いようです。

ボスニア・ヘルツェゴビナ入国の1食目、
まずは代表料理の「チェバプチチ」を食べてみることにしました。

挽肉にスパイスを利かせ、
棒状にしてハンバーグのように焼いたシンプルな料理で、
「レピノン」という丸いパンに切り込みを入れて挟んで食べるようです。

↓チェバプチチ
P9212066.jpg

まあ、想像以上でも以下でもない味でしたw

チャバプチチと一緒に、
ボスニア・ヘルツェゴビナ製のビールも注文。

P9212061.jpg

「サラエボスコ」という銘柄です。

アルコール分4.5%のスッキリとした味わいで、
これはかなり美味しかったのですが、
残念ながら日本では入手できないようです。


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2013年11月17日

サラエボへ(モスタル/ボスニア・ヘルツェゴビナ)


モスタル散策を終え、バスターミナルへ戻ってきました。

おや?

P9212096.jpg

バスの運転手さん、
トランクみたいなところでお昼寝してました。

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モスタルからサラエボへは、
1日に9便ほどバスが出ているようでした。
(2013年9月時点)

チケットは20KM。

P9212102.jpg

”KM”はボスニア・ヘルツェゴビナの通貨単位です。
「コンベルティビルナ・マルカ」って読みます。

1KM=約67円くらいです。

なので、モスタルからサラエボまでは、
だいたい1,340円くらいでしょうか。

しかし、
この「コンベルティビルナ・マルカ」が超クセものでして、
何しろ通貨がマイナー過ぎて、
いつも使っているiPhone用の通貨換算アプリにデータがありません。

さらに、ネットで調べてみても、情報入手が難しく。

結局、KM→€→¥って計算して、
物価のアテをつけていたのであります。

そんなこんなで、15時出発の
モスタルからサラエボへのバスに乗車。

P9212099.jpg

P9212100.jpg

道のりは約3時間。

途中でタバコ休憩なんかもあって、

P9212104.jpg

サラエボの長距離バスターミナルに
到着したのは18時頃でしょうか。

このボスニア・ヘルツェゴビナ、
今年、紛争後初の国勢調査が22年ぶりに行われたようですが、
結果が出るのは来年だそうです。

ちなみに前回行われた91年の統計によると、
以下のような民族構成比となっていたようです。

総人口約438万人の民族別構成比
・ボスニア人(イスラム教徒)43.5%
・セルビア人(正教徒)31.2%
・クロアチア人(カトリック教徒)17.4%
・いずれの民族にも属さない「ユーゴスラビア人」と回答 5.6%

現在は、紛争による民族浄化やセルビア人の退去などで、
人口も減り、民族の比率も多少変化していそうですが、
内戦の性質から想像すると、
イスラム教徒の比率は更に高まっていると思われます。

バス乗り場にも、
こんなイスラム教徒ちっくなご婦人方がいて、
なかなか旅情をかき立ててくれます。

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事前に予約したホテルから送られて来ていた地図によると、
長距離バス乗り場のすぐ横にあるトラム乗り場から
トラムに乗ってホテルに向かうのが良さそうです。

ってことでトラム乗り場へ。

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トラム乗り場の向こうに見える異様なビルは、
2009年に完成したばかりの「Avaz Twist Tower」ってビルで、
新聞社のビルだそうです。

レトロなトラムと、
真新しく奇抜なデザインのビルの、
異様なコントラスト。

発展途上国の特徴かもしれません。

トラム乗り場の裏手には、
なんか公共機関の施設っぽいのがありましたが、
閑散としている上に、
凶暴そうな野良犬とかいて恐ろしかったです。

P9222120.jpg

トラムは随分とアジのある代物。
古いです。

P9222122.jpg

トラムの運転手さんに、
値段を聞いてお金を払おうとしたら、
なぜか支払いを拒否された上で、
トラムに乗せてくれました。

謎です、サラエボ。

トラムの中です。

P9222123.jpg

非常に寒々しいです。

サラエボ、
なんだかディープな臭いがプンプンする街です。


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2013年11月18日

サラエボ事件の地へ(サラエボ/ボスニア・ヘルツェゴビナ)


ホステルに到着。

P9222236.jpg

陽も落ちて、随分と肌寒くなっていました。

サラエボは山間部にある街のため、
私が訪れた9月半ばの夜の気温は10度ほど。

東京の11月くらいの感じです。

ってことで、ジーンズにパーカー、
さらにその上からストームジャケットを着込んで、
街の散策に出かけました。

じっくり歩き回るのは翌日以降にするとして、
先ずは行ってみたかった場所があります。

「ラテン橋」です。

「ラテン橋」とは、
あの「サラエボ事件」が起きた現場です。

「サラエボ事件」は、
第一次世界大戦勃発の引き金になった事件ってことで、
世界史とかではワリと有名な事件です。

オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝継承者、
フランツ・フェルディナント大公と、
その妻ゾフィー公妃が、
当時の属領だったこの地を視察した際に、
共産主義革命を狙う若者に暗殺された事件です。

ちなみに、英国グラスゴー出身のバンド
「フランツ・フェルディナント」は、
この皇太子の名前からバンド名を取ったんだそうですよ。

「響きが良かったから」だそうです。

「ラテン橋」へは、ホテルから徒歩5分程ってことで、
歩いて出かけました。

夜の街並みもエキゾチックで素敵なサラエボです。

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人種もクロアチア人とは明らかに違い、
黒髪の人が多いようでした。

女性は大柄ですが、美人が多い印象でした。

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ラテン橋に到着。

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ライトアップされていますが、
なんてことはない普通の橋でした。

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で、実際の事件は、この橋の袂で発生したようです。

↓発生現場にあるプレート。
P9222267.jpg

その場所は、今では博物館になっていました。

P9222143.jpg

この事件、なかなかストーリー性のある事件でして、
それが、私がこの事件に思い入れがある原因になっています。

まず、この事件の発生日は、フェルディナントとゾフィーの
14回目の結婚記念日でした。

で、このフランツ・フェルディナント婦人のゾフィー、
没落貴族の出自で、とある貴族の侍女でした。

そのため、フェルディナントとゾフィーの愛は許されないもので、
反対を押し切っての結婚だったため、大公妃としての様々な権利は
剥奪され、ハプスブルク家では随分と冷遇されたようです。

この事件が起きた14回目の結婚記念日のパレードは、
そんな冷遇され続け、それに耐え続けたゾフィーへの、
皇太子からのプレゼントだったと言われているそうです。

↓フランツ・フェルディナント大公とゾフィー公妃
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また、暗殺の経緯も、
様々な偶然が重なったものでした。

暗殺を計画したグループは、当初、
手投げ弾での暗殺を計画していました。

事件当日、手投げ弾での襲撃は行われましたが、
この襲撃は失敗。

軍人3名と群衆20名に、
重軽傷を負わせるに留まりました。

大公夫妻は難を逃れることができたのですが、
その後、大公夫妻は、この襲撃で負傷した人々を
見舞うために自らの意志で病院に向かいます。

その際に、
予定変更を告げられていなかったドライバーは、
道を間違え十字路で車を方向転換させます。

その時に、たまたま、その十字路にあった
レストランでサンドウィッチを食べていた、
襲撃に失敗した犯人グループの一人が、
方向転換している大公夫妻の車を偶然発見。

手にしていたピストルで銃撃した、
というのが暗殺までの経緯です。

↓サラエボ事件直後の様子
sarajevo1.jpg

「事実は小説より奇なり」という言葉がありますが、
第一次世界大戦の引き金となったこの事件は、
まさにその言葉がぴったりです。

冷ややかなサラエボの夜風に吹かれながら、
フェルディナント夫妻のことを思いながら、
歩いてホテルに戻りました。

この日は、
ホステルの共用ロビーでビールを吞みながら、
サラエボ事件やハプスブルク家のことなんかを
ネットで調べてから床に就きました。

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2013年11月19日

マルカレ市場の悲劇(サラエボ/ボスニア・ヘルツェゴビナ)


サラエボ観光を丸一日楽しめるのは
この日しか無かったこともあり、
朝8時頃にはホステルを出ました。

ホステルの隣にはちょうど、
「マルカレ市場」というサラエボで
一番大きな市場がありました。

↓ホステル前の路上で商売をするおばさんたち
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↓衣類なんかも売られています
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今はサラエボの台所として活況のこの市場ですが、
ボスニア紛争の際には悲劇の舞台となりました。

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1994年2月24日、
このマルカレ市場にセルビア人勢力により、
砲撃が加えられます。

この砲撃により、
一般市民68人が死亡、
200人以上が負傷しました。

いわゆる「第一次マルカレ虐殺」です。

この事件によってサラエボは国際社会の注目を集め、
その結果、国際連合による重火器撤去通告に繋がりました。

しかし、その後も紛争は収まらず、
1995年8月28日に再びマルカレ市場は砲撃を受けます。

この砲撃により、
37人が死亡、90人が負傷しました。

「第二次マルカレ虐殺」です。

この事件が引き金となり、
北大西洋条約機構(NATO)は
セルビア人勢力への空爆を実施。

その後、10月に停戦、
11月21日にはディトン合意によって、
紛争は終結しました。

サラエボの街を歩いていると、
下の写真のような奇妙な赤いインクを見かけます。

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これは「サラエボのバラ」と呼ばれているもので、
サラエボ包囲戦時に砲撃を受けたことを忘れないために、
着弾した場所に赤い樹脂を流し込んでいるのだそうです。

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今は平和なサラエボの街ですが、
私が高校生だった頃までは戦場だったんですね。

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サラエボ包囲戦により、
12,000人が死亡し、50,000人が負傷したとされています。

そのうち85%は市民だったそうです。

また、殺害と強制移住によって、
サラエボ市民の数は64%にまで減ったそうです。

サラエボの街を舞台にした映画
「サラエボ、希望の街角」のワンシーンです。

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サラエボ包囲戦が終わったのは、
今からわずか20年程前のことです。


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